「鎌倉殿の13人」畠山重忠ロス必至!鎌倉武士の鑑が魅せた壮絶な最期・第35回放送「苦い盃」予習【後編】 (6/10ページ)
134騎に対して何千とも何万とも言う大軍で完全包囲していながら、闘いは数時間にも及びました。これは重忠らがよほど強かった(恐れられた)のか、あるいは明らかに大義のない戦に北条方の腰が引け気味だったのかも知れません。
そもそも勝負は最初から見えているため、あえて死に物狂いで戦う相手に近寄って命を落としては死に損というもの。出陣したことである程度の恩賞(および戦後の厚遇)が確保されているのであれば猶更です。
さて、時は申の斜(午後17:00過ぎ。斜は終刻の意)に差しかかったころ、弓の達者である愛甲三郎季隆(あいこう さぶろうすえたか)が重忠を射止めました。
「敵の大将・畠山次郎、愛甲三郎が討ち取ったり!」
「父上ーっ!」
重忠の首級を掻っ攫った季隆はこれを義時の陣中へ持ち込み、いまだ奮戦していた小次郎重秀らは自害して果てたということです。
悪いのはぜんぶ三郎……時政による苦しい責任転嫁
晴。未尅。相州已下被歸參于鎌倉。遠州被尋申戰塲事。相州被申云。重忠弟親類大略以在他所。相從于戰塲之者僅百餘輩也。然者。企謀叛事已爲虚誕。若依讒訴。逢誅戮歟。太以不便。斬首持來于陣頭。見之不忘年來合眼之眤。悲涙難禁云々。遠州無被仰之旨云々。酉尅。鎌倉中又騒動。是三浦平六兵衛尉義村。