「鎌倉殿の13人」畠山重忠ロス必至!鎌倉武士の鑑が魅せた壮絶な最期・第35回放送「苦い盃」予習【後編】 (8/10ページ)
此度のことはぜんぶ稲毛入道めが悪いんじゃ!」
「父上……」
「おい平六、何とかせぇ!」
「……かしこまりました」
義村は策を講じて重成らを経師谷(きょうじがやつ)へ誘い出し、当人はじめ息子の小澤次郎重政(おざわ じろうしげまさ)・弟の榛谷四郎重朝(はんがや しろうしげとも)などことごとく粛清します。
「まったく三郎め、一族の絆を忘れて畠山一族を討とうなどと言う企みに賛同しおって。そのせいで無用の血が流れてしまったわい……やれやれ」
(遠州潜被示合此事於稻毛之間。稻毛變親族之好。當時鎌倉中有兵起之由)
これで問題を解決したつもりの時政ですが、そそのかされた重成が共犯だとしても、一番悪いのはそそのかした時政=主犯ではないのでしょうか。
「とにかく、この件はもうおしまいじゃ。悪いのはぜんぶ三郎ハイ解散、ご苦労様でした。次行ってみよう!」
「「「……」」」
半ば開き直った御家人たちの間に、強い不信感が残ったのは言うまでもありません。
エピローグそんな悲劇の翌月、7月1日に合戦以来となる酒宴が催されました。和田義盛による椀飯振舞です。
去月合戰以後。始於營中。有盃酒之儀。和田左衛門尉献之。
※『吾妻鏡』元久2年(1205年)7月1日条
「まぁ呑もうぜ」
「あぁ……」
義時たちの酒はさぞ苦かったことでしょう。