「鎌倉殿の13人」畠山重忠ロス必至!鎌倉武士の鑑が魅せた壮絶な最期・第35回放送「苦い盃」予習【後編】 (7/10ページ)

Japaaan

重廻思慮。於經師谷口。謀兮討榛谷四郎重朝。同嫡男太郎重季。次郎季重等也。稻毛入道爲大河戸三郎被誅。子息小澤次郎重政者。宇佐美与一誅之。今度合戰之起。偏在彼重成法師之謀曲。所謂右衛門權佐朝雅。於畠山次郎有遺恨之間。彼一族巧反逆之由。頻依讒申于牧御方〔遠州室〕。遠州潜被示合此事於稻毛之間。稻毛變親族之好。當時鎌倉中有兵起之由。就消息テ。重忠於途中逢不意之横死。人以莫不悲歎云々。

※『吾妻鏡』元久2年(1205年)6月23日条

「「……父上っ!」」

翌日、畠山一族を滅ぼして鎌倉へ帰って来た義時・時房らは時政夫婦を詰(なじ)りました。

「何が謀叛ですか。坂東じゅうから大軍を率いて駆けつけてみれば、次郎が率いていたのはたったの百数十騎。それも囮ではなく無為無策のまま討たれたことが無実であった何よりの証拠……それなのに!」

あまりにも潔い重忠の最期を知って涙せぬ者はなかったと言いますが、しかしそれならば義時の現場判断で攻撃中止してもよさそうなものです。

(もちろんそんなことをしたら自分の身が危くなるのでしませんし、武蔵国の利権を目の前にして他の御家人たちを留めることも難しかったでしょう)

まぁ(現場で討伐を指揮した)義時自身への批判をかわすパフォーマンスは功を奏して、批判の眼差しは時政へと注がれました。

「いや小四郎、五郎聞いてくれ。あぁそうじゃ、三郎じゃ。

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