ついに登場!承久の乱で三浦義村と兄弟対決を繰り広げる三浦胤義(岸田タツヤ)の生涯【鎌倉殿の13人】 (3/8ページ)
お前ぇら、同族の和田を裏切るんじゃねぇぞ」
義村「……決まってるでしょう。なぁ九郎?」
胤義「左様。三浦一族の長老を裏切るなど……」
ならばその旨、起請文を書いてもらおう……というわけで起請文を書いた義村でしたが、後で胤義と相談しました。
義村「三浦の祖先・三浦平太郎為継(へいたろうためつぐ)はかつて八幡太郎・源義家(みなもとの よしいえ。実朝の5代祖先)の奥州征伐に従って以来、源家累代の家人として忠義を尽くしてきた。それを裏切るようなことがあれば、天罰を免れまい」
胤義「いかにも。ここはやはり過ちを認め、鎌倉殿と執権殿へお味方するよう内通しておき、タイミングを見て寝返ろうじゃないか」
かくして三浦兄弟が裏切ったことで計画が狂った和田勢は奮戦むなしく滅亡してしまいます。
以来、御家人たちは「三浦の犬は友をも喰らう(一族さえ裏切る卑怯者)」と呼び蔑んだということです。
とは言え、和田合戦の戦功はきちんと報いられ、胤義は義盛の旧領であった上総国伊北郡(現:千葉県いすみ市・勝浦市)を恩賞として与えられました。
こうして北条の盟友として鎌倉幕政に重きをなした三浦兄弟。しかし胤義の心は次第に京都へと惹かれていくのです。
鎌倉へ叛旗を翻し、打倒義時に奮闘する(承久の乱)やがて胤義は鎌倉を離れて京都で大番役を務めたのち、検非違使(判官)に任じられます。人々からは九郎判官(くろうほうがん)などとも呼ばれたとか。