ついに登場!承久の乱で三浦義村と兄弟対決を繰り広げる三浦胤義(岸田タツヤ)の生涯【鎌倉殿の13人】 (5/8ページ)
「上皇陛下にお味方せよ!」
それぞれ呼びつけて起請文を書かせようとしたところ、うっかり参上してしまった親広は、畏れ多くも上皇陛下に面と向かって「嫌です」とは言えず、泣く泣く味方してしまいます。
一方の光季はそもそも呼び出しに応じず「私は鎌倉殿(≒執権)の命で京都に来ているので、どんな気軽な御用であってもまずは鎌倉殿のご許可をいただいてから参上いたします」と遠回しながら拒絶したため、滅ぼされてしまったのでした。
秀康「さぁ、こうなったら後へは退けぬ。鎌倉の勢力を削ぐため、平六殿を味方につけるよう説得できるか?」
胤義「もちろんです。兄は『嗚呼の者』だから、次の鎌倉殿(日本国惣追捕使)にしてやると言えば、断るはずがありませんや」
この「嗚呼(おこ。烏滸)の者」とは、現代でも「烏滸がましい」なんて言うように、身の程知らずの愚か者≒野心家とでも訳したらいいんでしょうか。
つまり「今は義時にベッタリだけど、権力の座を約束すれば必ず寝返ってくれるでしょう」と言いたかったようです。
胤義「まして義時を討てと院宣を下せば、ヤツは朝敵。味方する者なんて一千騎もいないでしょうな。もう楽勝々々!」
秀康「それは頼もしい。