忠義一筋!人質時代から天下人まで、ずっと徳川家康を支え続けた天野康景・前編【どうする家康】 (3/8ページ)

Japaaan

途方に暮れる竹千代(イメージ)

「又五郎よ、わしらはどうなってしまうのじゃ……」

「ご案じ召さるな。何があろうと我らが若君をお守りいたしますゆえ……」

2年後の天文18年(1549年)には当初の予定通り駿河国へ引き渡されたのですが、それから10年以上の歳月を人質として過ごした竹千代。康景たちの献身的な支えなくしては、とても耐えきれなかったのではないでしょうか。

信仰よりも忠義を選ぶ

さて、永禄3年(1560年)に今川義元が桶狭間の合戦で討死すると、竹千代改め松平元康(もとやす。独立後、徳川家康と改名)は混乱に乗じて悲願の独立を回復。三河の戦国大名として名乗りを上げました。

(※父・松平広忠は既に死去。死因については諸説あり)

しかし喜んでばかりもいられません。永禄3年(1563年)には支配下の西三河で一向一揆が勃発。徳川家臣団の中でも一向宗(浄土真宗)に帰依している者がおり、少なからず寝返ってしまったのです。

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