忠義一筋!人質時代から天下人まで、ずっと徳川家康を支え続けた天野康景・前編【どうする家康】 (4/8ページ)
三河一向一揆。月岡芳年「三河後風土記之内 大樹寺御難戦之図」
「又五郎、そなたもか……!」
「いえ。それがしは信仰よりも御屋形様を選びます」
康景も日ごろ熱心な一向宗徒でしたが、家康への忠義をまっとうすることを決断。その場で棄教。奮闘の末、賊徒の一人・馬場小平太(ばば こへいた)を討ち取りました。
また一向一揆と連携していた吉良義昭(きら よしあき)を攻めて東条城(現:愛知県西尾市)を奪取します。
こうした忠義と武勇をもって認められた康景は永禄8年(1565年)に三河国の奉行職を拝命。共に任じられた高力与左衛門清長(こうりき よざゑもんきよなが)と植村庄右衛門正勝(うえむら しょうゑもんまさかつ)と並んで三河の三奉行と称されました。
後に植村正勝は本田作左衛門重次(ほんだ さくざゑもんしげつぐ)と交代し、人々は「仏高力、鬼作左。どちへんなきは天野三郎兵衛」と囃したとか。