「鎌倉殿の13人」ついに牧氏の変、くすぶる余燼…第38回「時を継ぐ者」予習 (4/6ページ)
……とは言ったものの、そのまま放っておいたら他の誰かが討伐してしまいかねません。
そこで朝政は頼綱に連絡。「おい、このままだとまずいぞ。俺は断ったが、誰が討伐に行くとも限らぬから、起請文を書け」ということで、頼綱は素直に起請文を義時に献上しました。8月11日のことです。
誠意を見せるため、宇都宮一族60数名が同時に出家「しかし、起請文だけであの相州(義時。相模守)が信じるじゃろうか」
「相分かった。この機会だから、頭を丸めて詫びを入れてやるか!」
ここまですれば、さすがの義時も潔白を信じざるを得まい。そこで8月16日、頼綱は出家して蓮生(れんしょう)と改名しました。
「「「大将、我らもお供いたしますぞ!」」」
一緒に出家した郎党らは60余名。宇都宮一族の強い団結≒精強さを天下に知らしめる一大パフォーマンスと言えるでしょう。
「大将だけ坊主にはさせねぇ。みんな揃って頭を丸め、相州に目にモノ見せてやろうぜ!」俄然張り切る宇都宮一族(イメージ)
何だかテンションが上がってきたのか、頼綱改め蓮生法師は8月17日、「お詫び」のために宇都宮を出立しました。
「いざ、鎌倉!」
「「「おおぅ……っ!」」」
さぁやって来ました8月19日。鎌倉へ到着した坊主集団は、義時に面会を要求します。
「宇都宮弥三郎改め、入道蓮生。一族郎党頭を丸めて相州殿へお詫びに罷り越した。