源実朝と前世の絆が?テイ龍進の演じる宋人・陳和卿とは何者か【鎌倉殿の13人】 (2/7ページ)
それを聞いた頼朝は「さすがは徳の高きお方。ならばせめて寄付をさせて下さい」と奥州征伐に際して着用した甲冑や鞍つきの駿馬3頭、金銀を献上します。
……將軍抑感涙。奥州征伐之時以所着給之甲冑。并鞍馬三疋金銀等被贈。和卿賜甲冑爲造營釘料。施入于伽藍。止鞍一口。爲手掻會十列之移鞍。同寄進之。其外龍蹄以下不能領納。悉以返献之云々。
※『吾妻鏡』建久6年(1195年)3月13日条
しかし陳和卿は甲冑を仏殿造営の釘料(※)とし、鞍一つは法事用に受け取って東大寺へ寄付したものの、残った駿馬や鞍は返品したということです。
頼朝が奥州征伐で着ていた鎧。もし遺っていたら貴重な宝物となったはず(イメージ)
(※)甲冑を売却して釘の購入代金に充てたのか、あるいは甲冑を潰して金具を釘にしたのか、どっちでしょうね。戦場で着用して穢れた甲冑だから金銭に替えてしまうのも、あるいは罪業を少しでも清めるべく仏殿の釘に変えてしまうのも、どちらもアリな気がします。
東大寺再建の功績によって播磨国大部荘(現:兵庫県小野市)を賜るなど高く評価された陳和卿ですが、東大寺の僧侶たちから反感を買い、告発されてその地位を追われてしまいました。
前世の師弟が再会?それから月日は流れて建保4年(1216年)6月8日。陳和卿が鎌倉にやってきます。
晴。陳和卿參着。是造東大寺大佛宋人也。彼寺供養之日。右大將家結縁給之次。可被遂對面之由。頻以雖被命。和卿云。貴客者多令断人命給之間。罪業惟重。奉値遇有其憚云々。仍遂不謁申。而於當將軍家者。