「鎌倉殿の13人」実朝、まさか日本脱出!?第42回放送「夢のゆくえ」予習 (7/8ページ)
前世などと、一体何を根拠に言っているのか……しかし、当の実朝にも心当たりがあったのです。
「ふーん……実は私も六年前、そのような夢を見てな。今まで誰にも話したことがないので、示し合わせたとも思えない。やはり私たちは、前世からの因縁によって引き合わされたのかも知れないな」
というわけで意気投合した実朝は、いつか宋に渡って前世の故地・医王山を見てみたいと唐船の建造を命じました。
晴。將軍家爲拝先生御住所醫王山給。可令渡唐御之由。依思食立。可修造唐船之由。仰宋人和卿。又扈從人被定六十餘輩。朝光奉行之。相州。奥州頻以雖被諌申之。不能御許容。及造船沙汰云々。
※『吾妻鏡』建保4年(1216年)11月24日条
「いや、ちょっとお待ち下さい!」
「鎌倉殿が鎌倉どころか日本国からいなくなったら、政治はどうなってしまうのですか!」
義時と広元は必死になって止めますが、実朝は聞く耳をもちません。
「私などいない方が、そなたらは政治がやりやすかろう?厄介者は退散じゃ」
「そんな、ちゃんと帰って来ますよね?!」
たとえお飾りといえども、鎌倉殿がいないとさすがに東国政権の正当性が失われ、御家人たちも従わなくなるでしょう。
「さぁな。考えておこう」
そして翌建保5年(1217年)4月17日、ついに唐船が完成したのでした。
終わりに晴。宋人和卿造畢唐船。今日召數百輩疋夫於諸御家人。