東京都墨田区にある業平橋の由来となった歌人・在原業平を調べてみた (2/6ページ)
「唐衣(からころも)/きつつなれにし/つまあれば/はるばるきぬる/旅をしぞおもふ」
(何度も着て体になじんだ唐衣のような、長年連れ添った妻を都に残して、はるばるここまで旅をしてきたのだなあと、しみじみさせられる)
そこで女は先ほどとは打って変わった見事な衣装と冠をまとい、僧侶の前に現れる。驚いた僧に女は、この唐衣はかつて業平と情を交わした藤原高子(こうし、842〜910)のもので、そして冠は業平のものであると言う。更に自分はかきつばたの精で、
「植ゑおきし昔の宿の杜若 色ばかりこそ昔なりけれ」
(昔の家に植えておいたかきつばたの花の色ばかりが、昔を物語るものになってしまった)
という歌は、実は自分がかきつばたの精となったいわれを語るものだ。そして業平は極楽の歌舞の菩薩の化身であるため、彼が詠んだ和歌の言葉は全て、仏の説法でもある。だからこそ、人間のように情を持たない、自分のような草木に対しても、救いを導く力を持っていると語った。その後女は『伊勢物語』の恋物語の数々を語り、舞う。そして夜が開けると共に、姿を消した。女は成仏したという…。
平安時代に編纂された公的な歴史書、『日本三代実録』(901年)の巻37、元慶4(880)年5月28日条に記された業平は、「体貌閑麗 放縦不拘 略無才学 善作倭歌」(容貌は美しく、自由放埒で細かいことにこだわらず、漢学の才はないが、和歌をよく作っていた)と記されている。それは我々がよく知る、『伊勢物語』における「色好みで歌の名手」のイメージとさほど違わないが、「小町草子」や「杜若」で表現された業平は、もはや我々と同じ人間ではない。菩薩という、仏教において仏の次の位に位置する存在にまで高められている。
■神道集に登場する在原業平
このエピソードよりは、「人間離れ」していない業平を描いたものもある。例えば、もともとは鎌倉時代(1185〜1333)に遡るものとされるが、南北朝時代の文和(1352〜1356)・延文(1356〜1361)に成立したとされる『神道集(しんとうしゅう)』の「諏訪大明神の五月会(さつきえ)の事」の冒頭部分に登場する業平だ。