東京都墨田区にある業平橋の由来となった歌人・在原業平を調べてみた (4/6ページ)
「これも、違う!」。業平はまた、別の笛を渡す。「違う!」。官那羅は業平がふざけて、自分の心を焦らそうとしていると思い、何度も笛を返してもらおうと試みた。そうこうしているうちに、鶏が鳴いた。魔王の世界では、夜明けを告げる鶏の鳴き声をひと声でも聞いてしまうと、魔力を失ってしまうとされていることから、官那羅は笛のことなどすっかり忘れ、一目散に逃げ出してしまった。
業平はまだ夜も完全に明け切らないうちに、官那羅の笛を帝に献上した。その笛を受け取った帝は、「世界一の賢王でも、これほどすばらしい笛を手に入れることはできないだろう」と喜ばれた。そして、機転を利かせて笛を手に入れた業平の名声も、日増しに盛大になっていった…。
■東京の業平伝説
話を東京の業平伝説に話を戻そう。それは、先に挙げたものよりははるかに、『伊勢物語』に描かれ、我々がよく知る業平のイメージに近いものだ。
現在は葛飾区東水元(ひがしみずもと)に所在し、「しばられ地蔵」で有名な、天台宗の業平山南蔵院(なりひらさんなんぞういん)はもともと、貞和4(1348)年に本所中之郷(現・墨田区本所・東駒形・吾妻橋・向島近辺)に創建されていた寺のことだが、実はその創建に業平が関わっているという。
元慶年間(877〜884)に東国に下っていた業平があるとき、隅田川で舟遊びをしていた。しかし舟が転覆し、乗っていた人々は皆、亡くなってしまった。業平は亡くなった人々の葬儀を執り行って塚を立て、自らの手による経文も併せて納めた。また、自身の像も刻み、村人に与えた。村人は「業平塚」と呼ばれた塚の傍らにお社(やしろ)を建て、「業平天神社」として、業平像を安置した。
時を経て、南北朝時代の林能(りんのう、?〜1348)法師が、天神社のそばに小庵を創建し、「東泉寺」と称したものが、先に紹介した葛飾区の南蔵院の始まりだとされる。
業平天神社創建のきっかけとなった「業平塚」に関しては、異説がある。「杜若」にも登場した『伊勢物語』第9段の、
名にしおはば いざこと問わむ都鳥
わが思ふ人はありやなしやと
(「都」という名を持っているのだから、さあ尋ねてみようか、都鳥(ゆりかもめ)よ。