「鎌倉殿の13人」刻々と近づく1月27日。『吾妻鏡』をたどり、第44回放送「審判の日」を予習 (4/7ページ)
※『吾妻鏡』建保6年(1218年)12月2日条
【意訳】晴れ。義時は運慶(演:相島一之)に造らせた薬師如来像を大倉新御堂(現:覚園寺)に安置。供養を行なった。
導師:荘厳房律師退耕行勇(しょうごんぼうりっし たいこうぎょうゆう)
呪願:円如房阿闍梨遍曜(えんにょぼうあじゃり へんよう)
堂達:頓覚房良喜(とんかくぼう りょうき)施主の義時とその妻は御簾の中に着席、北条時房(相州)・北条泰時(式部大夫)・北条朝時(陸奥次郎)は正面の濡れ縁に着席。
ほか二階堂行光(にかいどう ゆきみつ。二階堂行政の子)・二階堂行村(ゆきむら。同じく)・加藤景廉(かとう かげかど)らが結縁に集まる。
また源頼時(みなもとの よりとき)・美作朝親(みまさか ともちか)・三条親実(さんじょう ちかざね)・伊賀仲能(いが なかよし)・安芸範高(あき のりたか)らがお布施を渡す役目を務め、戌の刻(午後8:00ごろ)につつがなく終了した。
夢のお告げとは7月9日、薬師如来を守る戌神(いぬがみ。跋折羅大将)が義時の夢枕に立ってこう言ったそうです。