「鎌倉殿の13人」政子が救いたかったのは……第46回放送「将軍になった女」振り返り (6/9ページ)

Japaaan

北条政村。『義烈百人一首』より

※ちなみに、『吾妻鏡』の義村は政村を「鍾愛(しょうあい。寵愛)」しています。何なら本当は、泰時よりも政村に家督を継がせたかったのではないでしょうか。

「私はまだ生きる。そんな話を今すべきではない」

「こういうことは、元気な内にしておいた方がいいんです!」

これについては激しく同意で、いつ急死するとも分からないのですから、泰時なら泰時で後継者にきちんと意思表示(文書に残すなど)しておけばよかったのです。

しなかったから義時の死後、跡目争い(伊賀氏の変)が起きているのですが、なぜ義時は意思を明確にしなかったのでしょうか。もしかしたら、“のえ”のご実家である伊賀一族に遠慮があった(利用したかった)のかも知れませんね。

※逆に史実では、政子ら北条一族に遠慮があった可能性も考えられます。

大河ドラマでは二階堂行政(演:野仲イサオ)が伊賀一族の利権を代表している描写ですが、確か行政は頼朝が亡くなった直後で60~70代(生没年不詳)のはず。この時点でもまだ生きていればもう80~90代。

もういい加減に引退させて、伊賀光季(いが みつすえ。“のえ”の兄弟)辺りに交代させて欲しかったところです。

あと2回の放送で勃発するであろう承久の乱。

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