「鎌倉殿の13人」政子が救いたかったのは……第46回放送「将軍になった女」振り返り (8/9ページ)
後鳥羽上皇から弓を預かり、みごとに的をぶち抜く秀康。一同の歓声が上がる中「それがしにお任せいただければ、ひと月で鎌倉を攻め落としてご覧に入れます」とのこと。
実に頼もしい限り、後鳥羽上皇もほくそ笑みますが、秀康ってそこまでの戦上手だったでしょうか。
確かに秀康は西面武士(さいめんのぶし。北面武士に加えて後鳥羽上皇が新設。鎌倉との臨戦態勢がうかがわれる)として国司を歴任するなど活躍しました。しかし武功は元よりまともな実戦経験も確認されていません。
実際に総大将を務めた承久の乱では敗北を喫し、後鳥羽上皇に見捨てられて逃げ出しています。192センチの長身を誇るハンサムと、哀れな末路のギャップが見どころになるかと思われます。
第47回放送「ある朝敵、ある演説」今回は尼将軍、そして次回に演説とくれば……そう、皆さんお待ちかね承久の乱。御家人たちを奮起させた政子の名演説です。
……皆一心而可奉。是最期詞也。故右大將軍征罸朝敵。草創關東以降。云官位。云俸祿。其恩既高於山岳。深於溟渤。報謝之志淺乎。而今依逆臣之讒。被下非義綸旨。惜名之族。早討取秀康。胤義等。可全三代將軍遺跡。但欲參院中者。