東京都葛飾区の南蔵院にあるしばられ地蔵がぐるぐる縛られている理由 (7/8ページ)

心に残る家族葬



頃合いを見計らって、包公は門を閉めさせた。そして、人だかりの中から4人を選び、「役所に無断で入ってくるとは不届きである!罪滅ぼしに、自分が商っているものを差し出せ!」と命じた。彼らはすぐに、品物を持ってきた。その中に、反物があった。

包公は再び、柴勝と呉子琛を呼び出し、反物を見せたところ、柴勝が、「自分の反物と、頭と尻の印は違うが、実は前もって、真ん中に目立たない印をつけていたんです。これは間違いなく自分のものです!そして私は、布の寸法も暗記しています」と言った。

それを受けて包公は、品物を差し出した4人を呼び出した。反物を持ってきていたのは、何と、汪成だった。汪成が言うには、反物を夏日酷から買ったという。包公は夏日酷を捕らえた。夏日酷は罪を認め、隠し持っていた他の布のことも白状した…

■最後に…

「現実」を鑑みると、「石碑」の柴勝や、「しばられ地蔵」の手代のように、大切な物が盗まれてしまった際、それが偶然、ほとんど無傷の格好で見つかることは、なかなかないことだ。万一どこかで盗品が見つかったとしても、犯人がわからなかったりする場合もある。仮に勇気を出して「お上(かみ)」に訴えたとしても、「うるさい!黙れ!」と相手にされず、追い払われてしまう可能性も十分にある。そうした理不尽、割り切れない、心が晴れない「現実」が多いからこそ、公平に物事を裁き、なおかつ知略をもって悪だくみを暴く、包公や忠相が多くの人々に求められるのだろう。

包公に鞭打たれたという石碑の話、そして忠相に荒縄でぐるぐる巻きにされたというお地蔵さまの話が「真実」、それとも「嘘」であるか、その両方を追求することは、我々にとって、意味のあることではないだろう。だからこそ、包公や忠相が行ったとされる数々の名采配に心から感動し、そして我々の代わりに犠牲になって、辛い思いをした石碑やお地蔵さまに感謝し、謙虚な気持ちで頭を垂れることが、辛い「現実」を日々生きる我々に、大事なことなのではないか。
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