モハメド・アリ、ウィレム・ルスカ、ドン・フライ…燃える闘魂アントニオ猪木「世紀の7大デスマッチ」驚愕の真相 (5/7ページ)
「同じ興行に出ていたタイガー・ジェット・シンが、“危険だから試合を止めろ”と止めに来るくらい、緊迫した展開でした」(同)
最後は、ダブル・リストロックを極めてもギブアップしないペールワンに、業を煮やした猪木が魔性の一押し。
ペールワンは腕を脱臼。観客が総立ちになり、スタジアムはリングサイドに並んだ軍隊が客に向かって銃を構える修羅場と化した。
新間氏は、こう回顧する。
「猪木さんが“新間、女房を頼むぞ”と言うから、“控室に行きましょう”と倍賞美津子さんを連れて行こうとすると、“私のことはいいから、アントンをお願い”と動かない。女神、ここにあり! ですよ」
■“熊殺し”極真空手のウィリー・ウィリアムスも
76年公開の映画『地上最強のカラテPART2』で巨大なグリズリーと戦い、“熊殺し”の異名がついた極真空手のウィリー・ウィリアムスも、猪木の首を狙っていた。
プロレスと空手の威信を懸けた一戦は、80年2月27日、蔵前国技館で行われた。ウィリーは他流試合を禁ずる極真会館から破門されていたが、裏では「猪木と新間を再起不能にせよ」という物騒な指令が出ていたともされる。
「アリ戦の際にアドバイスをもらったこともあって、極真会館の大山倍達先生との関係は悪くなかった。ウィリー戦の前には、大山先生から“空手は攻撃、攻撃、攻撃だが、プロレスラーは攻撃を受け、耐える肉体を作っている。これは空手家にはできない”と言われたのを覚えてます」(前同)
試合は、第2ラウンドに両者リングアウトの裁定が下るが、立会人である梶原一騎が試合再開を決める。迎えた第4ラウンド、猪木とウィリーが場外に落ちると、双方のセコンドが入り乱れる乱闘が発生した。
「セコンドには、我々新日本プロレスの選手と黒帯を締めた極真の選手がいて、リング下も殺気立っていたんです。