モハメド・アリ、ウィレム・ルスカ、ドン・フライ…燃える闘魂アントニオ猪木「世紀の7大デスマッチ」驚愕の真相 (7/7ページ)
「猪木さんは亡くなってしまったけど、その教えは僕の中で生き続けている。僕は、これを後輩たちに伝えていきたいんです」“燃える闘魂”の遺伝子は、けっして燃え尽きることはない。
■アントニオ猪木「世紀のデスマッチ」舞台裏
アントニオ猪木VSグレート・アントニオ(1977年12月8日)1961年に初来日。大型バス4台を引っ張る怪力を披露して有名になったのが、“密林王”ことグレート・アントニオだ。16年後、再来日を果たしたグレートと猪木の一戦は、プロレス史に残る凄惨なものとなった。リング上でニヤニヤ笑い、相手をバカにしたような態度を見せたグレートに猪木がマジギレ。顔面に蹴りを連発した(グレートは鼻を骨折)。試合はレフェリーストップで猪木が勝利。
アントニオ猪木VS上田馬之助(1978年2月8日)「デスマッチはやらない」が猪木のポリシーだったが、実際は、どぎもを抜くデスマッチに挑戦している。それが伝説の
「ネイル・デスマッチ」だ。当初は「リングの周りに割れたビール瓶を敷き詰める」趣向だったが、猪木の発案で五寸釘に変更。地獄のリングが誕生した。試合では両者とも釘の上に落ちなかったが、一歩間違えれば命を落とす可能性も。試合は上田にタオルが投げ込まれ、猪木が勝利。
アントニオ猪木VSマサ斎藤(1987年10月4日)事業の失敗と夫婦生活の破綻から自殺を考えていたとされる当時の猪木が、「死ぬ前に大きな花火を打ち上げる」と、米国の刑務所で1年半服役していたマサ斎藤を対戦相手に指名。対決の場は巌流島となった。「互いのプライドがルール」とされた一戦は、2時間を超える死闘に。両者とも意識もうろうとなりながら殴り合う壮絶な展開の中、最後は猪木が裸絞めで斎藤を絞め落とし、“昭和の宮本武蔵”に。