モハメド・アリ、ウィレム・ルスカ、ドン・フライ…燃える闘魂アントニオ猪木「世紀の7大デスマッチ」驚愕の真相 (2/7ページ)
しかし、坂口征二が猪木の設立した新日本プロレスに合流したことが引き金となり、日本プロレスは崩壊。大木も全日本プロレスに移籍したが、冷遇に耐えかねて退団していた。
「怒れる大木は、猪木に執拗に対戦を要求。宿泊先や自宅にも乗り込み、対戦を迫っていました」(前同)
新日本プロレスの営業本部長としてモハメド・アリ戦を仕掛けるなど、猪木の右腕として活躍した新間寿氏が明かす。
「大木さんの恋人から“会ってほしい”と言われたんです。渋谷にある二間のアパートに行くと、大木さんが “日本で試合がしたい”と言うので、“猪木とシングルでやりませんか?”と提案すると快諾してくれて。猪木さんに話すと“いいじゃないか。ただ、大木と因縁があった坂口(征二)には筋を通しておけよ”と言われたので、“一戦だけ”という条件で、坂口さんに許しをもらったんです」
遺恨対決となった一戦は、大木が一本足原爆頭突きを連発。額から一筋の血を流した猪木は、中腰の体勢で「もっと打ってこい!」と手招き、その気迫にひるんだ大木に、猪木はナックルパートを叩き込み、鬼気迫るバックドロップを放つ。猪木の勝利。試合後、2人は抱擁して涙を流した。
当時、デビュー4年目の若手レスラーだった“猪木の愛弟子”藤波辰爾は、このケンカマッチを間近で観ていた。
「この頃は、基本的に日本人のトップレスラー同士の対決は行われませんでした。ただ、猪木さんはストロング小林さんとの対決で、その常識を打ち破り、次に大木さんと戦ったんです。この試合の猪木さんの気迫はすごかった。外国人選手と戦うときとは異なる闘志が湧いたはず。