「どうする家康」織田・徳川の同盟、藤吉郎の尻、氏真のゲスっぷり…第4回放送「清州でどうする!」振り返り (4/8ページ)
ただし男であれば(要約)」
仮にお市(および彼女に多大な影響を与えたであろう信長)に「今は乱世だ」という神の視点があったとしましょう(誰が言ったか「時代というのは虹みたいなもので、当事者にはその色がなかなか見えない」ものですが)。
確かに力さえあれば、欲しいものは何でも手に入るでしょう。でも、片方が「手に入れた」それは、もう片方にすれば「奪われた」ものです。
力で手に入れるとは、すなわち戦って敵を殺し、民を蹂躙すること。その痛み苦しみ悲しみを顧みることなく「愉快」と断じる姿は、21世紀にもなってなお他国を侵略し、少数民族を弾圧する独裁国家に通じます。
戦国時代と言っても、みんながみんな天下取り(いわば世界征服)の野望に戦っていた訳ではなく、多くの大名たちはただ貧しい暮らしの中で生きるための奪い合いを繰り返していたに過ぎません。
実際にお市たちが発言したならともかく、こういう思想の表現にはもう少し慎重であるべきか?と、一視聴者として感じました。
あなたなら蹴飛ばす?藤吉郎の尻「さぁ、どうぞ!」
家中のみんなから尻を蹴飛ばされて「ありがとうごぜぇやす!」と卑屈に笑う木下藤吉郎(演:ムロツヨシ)。後の豊臣秀吉ですが、その目は笑っていません。
あれはきっと誰が何回蹴飛ばしたかしっかり覚えていて、後日必ず復讐するタイプです。実際に蹴飛ばした柴田勝家(演:吉原光男)は、早くも死亡フラグを立てていました(勝家は後に秀吉の手で滅ぼされます)。