「どうする家康」織田・徳川の同盟、藤吉郎の尻、氏真のゲスっぷり…第4回放送「清州でどうする!」振り返り (2/8ページ)
今回は家康が信長と同盟を結び、打倒今川を誓う場面が描かれました。このくだりについて、江戸幕府の公式記録『徳川実紀』では以下の通り記しています。
……君清洲へ渡らせたまへば信長もあつくもてなし。是より両旗をもて天下を切なびけ。信長もし天幸を得て天下を一統せば。 君は旗下に属したまふべし。 君もし大統の功をなしたまはゞ。信長御旗下に参るべしと盟約をなして後。あつく饗応まいらせて帰し奉る。これは永禄四年なり……
※『東照宮御実紀』巻二 永禄四年-同七年「永禄四年元康與信長同盟」
本書によれば「共に力を合わせて天下を切りなびき(征服し)、お互い先に天下をとった方へ従うようにしよう」と盟約したと言います。時に永禄4年(1561年)、これがいわゆる「清州同盟(清須同盟、織徳同盟などとも)」です。
史料に照らし合わせると今回の話はここまで。お市との婚約や過去の思い出、氏真の暴挙もろもろは基本的に一切合切フィクションとなります。
現代の清洲城(模擬天守)。当時はどんな姿だったのだろうか(イメージ)
また中国・紫禁城を思わせるだだっ広い清州城や、お市に案内されて清州城下を見渡す場面なども、基本的にはフィクション。現地にそのような山はなかったはずです。
あるいは筆者が不勉強なだけで、信長の時代はそのような山があったのを、後世まったいらに均して現代のようになったのかも知れません。