もう「姫若子」とは呼ばせない!初陣で覚醒した戦国大名・長宗我部元親の武勇伝 (1/6ページ)

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もう「姫若子」とは呼ばせない!初陣で覚醒した戦国大名・長宗我部元親の武勇伝

戦国時代、四国の覇者として武名を轟かせた長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか)。四国の大半を掌握するほどの人物ですから、幼少時からさぞ聡明であったろうと思ったら意外や意外。

聡明どころかうすらぼんやりとして、満足に挨拶もできず引き籠ってしまうほど軟弱者だったと言います。

「姫和子」元親(イメージ)

あまりの頼りなさに、人々は元親を「姫若子(ひめわご。姫のような若者)」と呼んだとか。

こんな事で、戦国乱世を生き抜いて行けるのか。父の長宗我部国親(くにちか)は我が子の将来を危ぶむのでした……。

戦場で槍の稽古を始め……まさか過ぎる展開

そんな「姫若子」長宗我部元親の初陣は永禄3年(1560年)5月28日、土佐の国人・本山茂辰(もとやま しげとき)との合戦です。

時に元親は18歳。当時の若者は早ければ13歳、遅くとも15~17歳までには初陣を果たすのが通例でしたから、元親の初陣はかなり遅めでした(諸説あり、22~23歳で初陣とも)。

「あんな様子では、すぐに討死しかねん。とても連れて行けたものではない」

と心配されたためでしょうか……果たして戦場へやって来ても、元親は独り遠く離れた場所で、ぼんやり景色を眺める始末。

ダメだこりゃ。……みんなが呆れ返る中、見るに見かねた秦泉寺豊後(じんぜんじ ぶんご)なる家臣が声をかけます。

「若殿。いかがなされた。

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