【朝ドラ らんまん】要潤演じる田邊彰久のモデル!東京大学理学部の初代教授・矢田部良吉の生涯④ (6/7ページ)
学生の英語能力向上のため、良吉は立場や国籍を超えて活動していたことがわかります。
良吉は、東京高等師範学校に在籍時、周囲の人間にも恵まれていたようです。
良吉が赴任した時、東京高等師範学校の校長であったのが、大河ドラマ『いだてん』でも知られる、柔道家の嘉納治五郎でした。
良吉はかねてから嘉納治五郎と親交を結んでおり、実際に手紙のやり取りもしています。
明治31(1898)年、良吉は東京高等師範学校の校長職に就任。教員たちを束ねる存在として、日本の教育行政に関わり続けます。
嘉納治五郎らの推挙があったかはわかりませんが、良吉の能力が評価されての人事であることは間違いありません。
翌明治32(1899)年の日記には、日本全国から良吉を訪ねてきた卒業生や就職希望者などが記されています。
東京大学を去ってからも、良吉は忙しく学生たちの指導・育成に明け暮れていたことがわかりますね。
避暑中の鎌倉で悲劇が起こる…矢田部良吉は、研究分野だけでなく教育においても、日本の歴史を変えたと言っていい人物でした。
しかし程なくして、良吉は不慮の事故に遭遇することなります。
翌明治32(1899)年8月7日、良吉は避暑中の鎌倉で遊泳中、溺れて命を落としてしまいました。享年47。