【朝ドラ らんまん】要潤演じる田邊彰久のモデル!東京大学理学部の初代教授・矢田部良吉の生涯④ (1/7ページ)
門外漢でも入門可能?良吉が受け入れた外部の研究者
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植物学の第一人者であった良吉は、植物学において後進の指導・育成においても余念がありませんでした。
明治15(1882)年2月25日、東京大学生物学会から分離独立する形で東京植物学会が創立。同年には機関誌『植物学雑誌』が創刊されています。
良吉は同会の設立に深く関わったとされており、植物学の世界においては主要な立場にいました。
後進の育成は、大学の学生だけに留まりません。学外の研究者にも出入りを許した例がありました。
朝ドラでは、主人公が大学への出入りを許可されることが一苦労だったシーンがありましたね。少し閉鎖的なイメージを持たれるかと思います。
しかし良吉は、在野の研究者・伊藤篤太郎に対して植物学教室への出入りを許可しています。
伊藤は東京大学総長・伊藤圭介の孫であり、イギリスのケンブリッジ大学に留学したこともある人物でした。
朝ドラの主人公・槙野万太郎と同じ立場の人が実際にいたのだと思うと、少し意外ですよね。