織田信雄(信長次男・浜野謙太)が惨敗!天正伊賀の乱「阿波口の合戦」を紹介【どうする家康】 (3/9ページ)

Japaaan

明けて9月17日

……明る十七日の昧爽に、嶮難幽谷の長野峠を打ち越へて、金傘の馬印を、朝露深き黒雲の中より、い可めしく差し出せば、さながら朝日の出づに異奈ら寿”、かねて軍備を定めける事なれば、軍勢を七手に分ち、阿波七郷へ乱れ入る。……

※『伊乱記』巻之二「信雄卿阿波口合戦の事」

【意訳】夜が明けて9月17日、いよいよ伊賀国へ入った信雄の馬印は、燦然と輝く金の傘。まだ朝露も残り、どんよりとした曇り空ですが、太陽が辺りを照らすようです。

事前に綿密な作戦を練っておいた信雄は将兵らに命じ、軍勢を七方面に分けて一斉に突入させました。

……伊賀勢もかねて覚悟しける事なるにより、多年嗜む所の兵衛を顕はすは、唯此度の事ぞかしと、勇み進みて敵を目かけて馳せ向ふ、或は其の分領に敵を待ち受くるもあり、或は森林奈どを小楯に取りて、寄手の勢を待ちたりけり、……

※『伊乱記』巻之二「信雄卿阿波口合戦の事」

【意訳】対する伊賀の国衆は、かねて信雄の来襲を覚悟していました。長年武の道を研鑽してきたのは、まさにこういう時のため。

それぞれ敵を待ち構えようと、峰や森など天険の地利を活かして布陣します。

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