織田信雄(信長次男・浜野謙太)が惨敗!天正伊賀の乱「阿波口の合戦」を紹介【どうする家康】 (2/9ページ)
天正七年己卯九月十六日、信雄卿松ガ島を打ち立ち、八千余騎の軍勢を前後左右に引き具しあり、侍大将には、生駒半左衛門、城戸内蔵之助、天野佐左衛門、池尻平左衛門、津川源三郎、土方彦三郎等、各々華麗に出で立ち、数万の旗印を秋風に靡かせ、甲冑差物を日光に輝かし、色めき立ちて、其の日は長野の駅に陣を居へ、……
※『伊乱記』巻之二「信雄卿阿波口合戦の事」
【意訳】時は天正7年(1579年)9月16日、伊勢国を支配していた信雄は、松ガ島から出陣。8,000余騎の軍勢を率いて、自分に反抗的な伊賀の国衆を討伐に向かいます。
侍大将として従うのは、生駒半左衛門(いこま はんざゑもん)・城戸内蔵之助(きど くらのすけ)・天野佐左衛門(あまの すけざゑもん)・池尻平左衛門(いけじり へいざゑもん)・津川源三郎(つがわ げんざぶろう)・土方彦三郎(ひじかた ひこざぶろう)……など錚々たる面々。
その軍容は華々しく、数万の旗印を秋風になびかせ、甲冑や太刀は太陽に輝いていたそうです。
ちなみに「8,000騎なのに、どうして旗印が数万もなびいているの?一人で何本も持っているの?」と疑問に思いますが、この1騎とはあくまで騎馬武者のこと。
周囲に従卒がおり、更には荷駄(輸送部隊)などがいるため、実際の人数はこれに数倍するものでした。
