「どうする家康」さらば狼、ありがとう我が友。第28回放送「本能寺の変」振り返り (5/12ページ)
(1)織田家の重臣たち(柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、滝川一益ら)がみんな出払っていること。
(2)光秀だけが十分な兵力を持って信長の近くにいること。
(3)そして信長と嫡男の織田信忠(のぶただ)が同時に討てる状態であること。
※信長は既に家督を信忠に譲っていたため、カリスマ性はともかく実務的には信長がいなくなっても支障はありませんでした。
光秀が秀吉の援軍を命じられたのが5月17日ですから、それ以前に軍勢を用意することは出来ません(謀叛を疑われるため)。
しかしいざ兵を集めてみたら、先の条件が偶然にも揃っていたのです。
まさに千載一遇、これを逃したら次はない。だから光秀は挙兵に踏み切り、信長を討ったのですが、そもそもなぜ討とうと思ったのでしょうか。
それまで光秀は対四国平定における外交を担当していましたが、四国情勢が変わったことから信長が方針を転換。
四国征伐の方面司令官には織田信孝(おだ のぶたか。信長三男)と丹羽長秀(にわ ながひで)が任じられました。
それまで窓口であった光秀では、矛先が鈍ると思われたのでしょうか。
役目を外され、秀吉への援軍という降格とも言える人事に前途を絶望した光秀が、起死回生を賭けた挙兵と見られます。
これが四国政策転換説として、近年の研究で有力視されているそうです。