「どうする家康」ヒゲを生やして、貫禄が出てきた?第31回放送「史上最大の決戦」振り返り (2/6ページ)

Japaaan

徳川家臣の松平親宅(まつだいら ちかいえ)が入手したものを、家康に献上されたのでした。

それが秀吉に贈呈され、秀吉が亡くなると五大老の一・宇喜多秀家(うきた ひでいえ)がこれを相続。慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦で秀家が敗れると、再び家康の手に戻ります。

後に松平忠直(まつだいら ただなお。家康の孫)へ大坂の陣における恩賞として与えられますが、またも紆余曲折を経て徳川将軍家に献上されたのでした。

現代も公益財団法人徳川記念財団によって大切に保管されている初花肩衝。もらった秀吉は大喜びで見せびらかしていたと言いますから、今後も劇中に登場したら胸が熱いですね!

粛清された三家老のプロフィール

織田信雄。劇中ではいいとこなしだが、信長の子らしく果断な一面も見せたという。落合芳幾筆

天正12年(1584年)3月6日、織田信雄は秀吉と内通していた三家老を粛清。これが実質的な宣戦布告となりました。

せっかくなので、ここでは暗殺された三家老のプロフィールを振り返りましょう。

浅井長時(あざい ながとき)

永禄12年(1569年)生~天正12年(1584年)3月6日没

若くして織田信忠に仕え、天正9年(1581年)に父が亡くなると家督を継ぎ、本能寺の変後は織田信雄の家老となりました。

天正12年(1584年)1月に信雄の家老四名(浅井長時、岡田重孝、滝川雄利、津川義冬)が秀吉に内通を持ちかけられ、滝川雄利だけはこれを拒否して信雄に密告。

これによって残り三家老は粛清されたのでした。享年16歳。

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