「どうする家康」大勝利だが拭えぬ不安。第32回放送「小牧長久手の激闘」振り返り (4/8ページ)
まさか、こんな所に家康が……秀次らは慌てふためき、多くの将兵を討ち取られる事に。
軍師の穂富(ほとみ)ナニガシはじめ名だたる者たちを喪い、秀次は生命からがら逃げ延びたのでした。
この辺りは、劇中でも描かれていましたね。池田恒興らはこの一連で討たれた印象ですが、彼らはまだ抗戦しています。
井伊の赤備えと池田恒興・森長可の最期
……井伊万千代直政が二千餘兵を先とし。御旗下には小姓の輩并甲州侍のみ供奉し。直政が勢は富士の根の切通しより進めば。君も其跡より田の中をすぐに引つゞきかゝらせ給ふ。井伊が赤備長久手の巽の方よりゑいとうゑいゑいとかけ聲して堀が備に競ひかゝる……
※『東照宮御実紀』巻三 天正十二年「甲冑勝川之由来」
さて、秀次を蹴散らした家康は堀秀政を襲うため、井伊直政(いい なおまさ)を先頭に進撃します。
直政は武田旧臣の精鋭「赤備え」など2千余騎を率い、堀秀政の陣を巽(たつみ。南東)の方角より襲撃したのでした。
劇中にもあったように、敵はすわ武田の再来かと恐れたでしょうか。
……池田森が人数は山際より扇の御馬印朝日にかゞやきをし出すをみて。すは 徳川殿みづから来り給ふといふより。