「どうする家康」大勝利だが拭えぬ不安。第32回放送「小牧長久手の激闘」振り返り (7/8ページ)
我彼等主従を終には味方となし被官に属せんと思へば。汝等かまへて矢の一筋もいかくべからずと下知しとりあはざれば。忠勝も馬より下り川辺にて馬の口をすゝがしむ。秀吉其挙動を感ずる事かぎりなし……
※『東照宮御実紀』巻三 天正十二年「秀吉感本多忠勝剛勇」
さぁ中入り作戦が大失敗、大きな犠牲を出してしまった秀吉は、逆転を賭けて大軍を繰り出します。
こうなったらなりふり構わぬ覚悟で8万の軍勢を総動員して家康を叩き潰すつもりです。
この動きを知った小牧山の本多忠勝(ほんだ ただかつ)。出撃した家康の留守を任されていましたが、いても立ってもいられません。
しかし小牧山に残された兵はわずか。敵の進路を妨害したところで、秀吉率いる8万騎を食い止めることなど不可能。一瞬でもみつぶされてしまうでしょう。
「それでも構わぬ。殿を見殺しにするくらいなら、この生命に用はない!」
忠勝の決意に感動した石川康通(いしかわ やすみち)、そうともその通りと同意して、二人でわずかな手勢を率いて秀吉を追いかけます。
「ここから先は、一歩も通さぬ!」
まさに蟻が象に挑むような暴挙ですが、むしろその狂気に驚いた秀吉は、あれは何者かと尋ねました。
「あの鹿角の前立物は、いつぞや姉川の合戦で見かけた本多平八。徳川家中きっての勇士にござる」
稲葉一鉄(いなば いってつ)の解説を聞いて、秀吉は涙を流して感激に打ち震えます。
「徳川殿には、あれほど忠義の勇士がいたのか。実に羨ましい。いつかきっと、徳川殿ともども我が家臣に迎えてみせる。よいか者ども、あの者らに決して矢など射かけてはならんぞ!」
もし忠勝らが殴り込んでくれば、その時は数に任せて押し潰せばよい。秀吉は忠勝の心意気に免じて、進撃を止めました。
すると、その様子を見た忠勝は馬を下り、川辺で馬に水を飲ませたのです。
馬から下りれば機動力・攻撃力ともに落ちます。また馬に水を飲ませれば腹が重くなり、これまた不利は避けられません。
まして目の前には敵の大軍が広がる状況。