羽柴秀吉の養子になった於義丸(結城秀康)。なぜ彼が選ばれた?【どうする家康】 (2/9ページ)
ギギ。ナマズの一種で、ヒレをギィギィ鳴らす習性がある(イメージ)
……三河守殿は、徳川殿第二の御子、御母は家の女房、いさゝかゆゑ有て、三河国産見(うぶみ)といふ所にて生れ給ひ、徳川殿御子ともし玉はず、本多作左衛門重次とりて養ひ参らせ、御名をば於義丸殿と申奉る……
※『藩翰譜』第一 越前
於義丸は天正2年(1574年)生まれ。母親は徳川家に仕えていた侍女・於古茶(おこちゃ。お万の方)でした。
彼女は家康の子を懐妊した際、家康正室の築山殿(つきやまどの)によって浜松城から追い出され、三河の片田舎でひっそりと出産します。
「殿、男児が生まれましたぞ!」
普通に考えればめでたいことで、家康としても確保しておきたいところ。しかし家康は築山殿に睨まれるのが怖くて、これを我が子と認知しませんでした。
「ならば、せめて名前をつけてやって下さい」
懇願された家康は、生まれた男児に於義丸と名づけました。文献によっては於義伊(おぎい)とも呼ばれます。
