羽柴秀吉の養子になった於義丸(結城秀康)。なぜ彼が選ばれた?【どうする家康】 (4/9ページ)
信康の計らいで父子の再会
……御兄岡崎の三郎殿、如何にもして、父上の見参に入ればやと思召し、於義丸殿三歳の御時、徳川殿岡崎に城に入らせ玉ふこと有りしに、かねて能く教へ参らせ、殿の渡らせ給ふほとりの明障子、引うごかし、父上々々と聞え給ひしに、徳川殿はやく心■させ給ひ、御座を立たせ給ふ所を、三郎殿御袖を扣へたまひ、信康が弟の候を、今日見参に入ればやと宣ふ、深く怨みいきとほり給ふ御気色見えければ、此上は見参無くては事あしかりぬと思召され、徳川殿再ひ御座につかせ玉ふ、三郎殿頓て於義丸殿の御手を引て参り玉ひ、近う渡り給へとありし程に、御膝の上にかきすゑ玉ひしかば、三郎殿歓ばせ給ふこと斜ならず……
※『藩翰譜』第一 越前
そんなこんなで、早二年の歳月が流れました。於義丸を不憫に思う一人、長兄の松平信康(まつだいら のぶやす。岡崎三郎)が二人の再会をコーディネートします。
「何じゃ三郎、たっての用事とは……」
岡崎城へと呼び出された家康。するとそこには、あの於義丸がいるではありませんか。
「げえっ、於義丸!」
「ちちうえー」
無邪気に駆け寄ってくる於義丸。恐らく信康が、あらかじめ仕込んでおいたのでしょう。
「よいか於義丸。今日はそなたの父上に会わせてやるからな」
「はい、あにうえ!」
……とか何とか。時に於義丸は3歳。まさに感動の再会ですが、家康はもう気が気じゃありません。