羽柴秀吉の養子になった於義丸(結城秀康)。なぜ彼が選ばれた?【どうする家康】 (9/9ページ)

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終わりに

やがて立派に成長する秀康(武生市指定文化財)

……秀吉深く悦ひ、やがて元服の儀行なはれ、羽柴秀康と名のらせ、河内国にて所領参らせ、一万石 明る十三年七月十一日、みづから関白し給ふとき、秀康朝臣御年十二歳なるを、四位の少将兼三河守になさる……

※『藩翰譜』第一 越前

さて、於義丸を迎えた秀吉は大喜び。じっさい人質ではあるけれど、やはり子供好きだったのかも知れません。

間もなく於義丸を元服させ、名前を羽柴秀康(ひでやす)と改名させました。秀吉の秀に、家康の康。両家の絆を深める役割を期待されたことでしょう。

そして河内国に1万石の所領を与えられ、翌天正13年(1585年)7月11日に秀吉が関白に就任すると、秀康も四位の位階と少将・三河守の官職を与えられました。

時に12歳、秀康の人生はまだまだ始まったばかりです。

果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では岐洲匠さんがどんな熱演を魅せてくれるのか、今から楽しみにしています!

※参考文献:

新井白石『藩翰譜 一』国立国会図書館デジタルコレクション

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