「どうする家康」数正のあほたわけー!その真意に一同涙……第34回放送「豊臣の花嫁」振り返り (3/9ページ)

Japaaan

……其頃甲斐の代官奉りし鳥居元忠に命ぜられ。信玄が代に軍法しるせし書籍。及びそのとき用ひし武器の類。一切とりあつめて浜松城へ奉らしめ。井伊直政。榊原康政。本多忠勝の三人をもて惣督せしめ。甲州より召出されし直参のものをはじめ。直政に附属せられしともがらまで。すべて信玄時代に有し事は何によらず聞え上よとて。様々採摭有し上にて尚又取捨したまひ。 当家の御軍法一時に武田が規矱に改かへられ。其旨下々まであまねく令せしめ。近国にも其沙汰広く傳へしめられたり。……

※『東照宮御実紀附録』巻四

家康は甲斐の代官を務めていた鳥居元忠(音尾琢真)に命じて、武田流の兵法を記した書物や武器などを浜松へ取り寄せました。

そして井伊直政(板垣李光人)・榊原康政(杉野遥亮)・本多忠勝(山田祐貴)に命じて、将兵に武田流の兵法を叩き込むのです。

……徳川殿は小田原と結縁ありし上に。今度の会盟またいかなる事を議し給ふもはかりがたし。そのうへ軍法をも武田が流にかへ給ひしなど京にも聞えければ。豊臣家の上下。さきに彼方に降附せし石川数正が事を。古暦古箒と名付て用なきものゝ様におもひあざけりけるとなん。(駿河土産。校合雑記。)……

※『東照宮御実紀附録』巻四

さらに家康は東方の北条氏政(駿河太郎)との連携を強化、再戦の態勢を整えていることが京都まで伝わりました。

すると豊臣家中の者たちは、数正の事を古暦(ふるごよみ)とも古箒(ふるほうき)と嘲り笑ったと言います。

古暦とは去年以前のカレンダー。あまり役には立ちませんね。そして古箒はもちろん古い箒。数正は秀吉に仕える前、伯耆守(ほうきのかみ)の官職を称していました。この伯耆を箒にかけたのですね。

かくして、せっかく徳川軍の重要機密を引っ提げて秀吉に仕えたのに、無力化されてしまった数正。

それなりに好待遇で迎えられはしたものの、秀吉からの扱いは冷淡なものだったそうです。

無理もありませんね。

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