日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【後編】 (1/5ページ)

Japaaan

日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【後編】

前回の記事

日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【中編】

痔の治療と倒閣

さて、第三次近衛内閣が退陣し、その後を継いだ東條英機内閣によって太平洋戦争が始まります。

東條は、開戦直後に日本が連戦連勝している間は良かったのですが、その後の戦局の悪化に伴い、権力を自分のもとに集中させて国民に対して圧政を強いていきます。

彼は参謀総長などの役職を兼任し、「それは憲法違反だ」「東條の言うことを聞いても日本は負けっぱなしじゃないか」と批判する人には弾圧を加えました

1941年(昭和16年)10月18日、総理大臣官邸での初閣議を終えた東條内閣の閣僚ら(Wikipediaより)

権力の座から退いた近衛は、ここで急に良識的な見方に立ち戻って終戦工作のために動き始めます。

「日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【後編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、近衛文麿政治家カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る