実際、藤原道長は夜に紫式部のもとを訪れていた!?『紫式部日記』から読み取る二人の関係【光る君へ】 (4/5ページ)

Japaaan

これだけでも、道長がどんな目線で紫式部のことを見ていたのか、また紫式部が男たちからどのように見られていたのかが想像できて興味深いですが、さらに無視できないのは、この直後に続くエピソードです。

渡殿に寝たる夜、戸をたたく人ありと聞けど、恐ろしさに音もせで明かしたるつとめて、
(渡殿〈渡り廊下にある局〉で寝た夜、誰か戸を叩く人がいた。その物音を聞きながらも、恐ろしいので返事もせずに夜を明かした。)

夜もすがら 水鶏(くひな)よりけに なくなくぞ 真木の戸口に たたきわびつる
(一晩中、水鶏にも増して、泣く泣く真木の戸口を叩きあぐねていました)

ただならじ とばかり叩く 水鶏ゆゑ あけてはいかに 悔しからまし
(ただ事ではない戸の叩き方でしたが、ほんの出来心でしょう。私が戸を開けていたら、どんなに後悔することになっていたことでしょう)

水鶏(くいな)

前半部分で紫式部のことを「すきもの」と呼んだ人物は間違いなく藤原道長なのですが、それに続いて、夜に何者かが戸を叩いて紫式部のもとを訪れたというのです。

その正体が誰だったのか、『紫式部日記』には書かれていません。しかし「すきもの」のエピソードに連続して書かれている以上、紫式部もその連続性を意識して『日記』をつけたと考えるのが自然でしょう。

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