作家デビューしたまひろ、娘に原稿を燃やされスランプに…大河ドラマ「光る君へ」8月4日放送振り返り (3/10ページ)
「先生は歌を詠む時、そんなに難しいことをお考えなんですかぁ?私は思ったことをそのまま歌にしているだけですけれど」
私って、天才肌なのぉ~と言わんばかりに現れたあかね(泉里香)。いえ、別に聞いてませんが。
何ともケバくて残念な感じに仕上がりましたね。
当時は敦道親王(あつみち。冷泉天皇の第四皇子)と熱愛中。ちなみにその兄である為尊親王(ためたか。同第三皇子)とも恋仲でしたが、一昨年(長保4・1002年)に死別しています。
この時点で夫(橘道貞)と一人娘(小式部内侍)がおり、夫とは不倫発覚後も婚姻関係が継続していました。
為尊親王と不倫した時点で父親からは勘当されており、また敦道親王は彼女を自宅に招こうとしたため正室の藤原済時女(なりときの娘)は怒って出ていきます。
敦道親王との間に男子(岩蔵宮。のち永覚)を生みますが、寛弘4年(1007年)にまたも死別してしまいました。
他にも源雅通(まさみち。源雅信の孫)や治部卿(じぶきょう。源俊賢?)との関係も噂されるなど、そりゃ道長も「うかれ女」と評する訳です。
後に道貞と離婚し、長和2年(1013年)ごろに道長の家司・藤原保昌と再婚しました。
以降の消息については不明ですが、一説には保昌にも捨てられてしまったとも言われています。
ちなみに紫式部は自身の日記『紫式部日記』で、彼女をこう評しました。
和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ。うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉の、にほひも見えはべるめり。歌は、いとをかしきこと。ものおぼえ、うたのことわり、まことの歌詠みざまにこそはべらざめれ、口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目にとまる詠みそへはべり。それだに、人の詠みたらむ歌、難じことわりゐたらむは、いでやさまで心は得じ。口にいと歌の詠まるるなめりとぞ、見えたるすぢにははべるかし。恥づかしげの歌詠みやとはおぼえはべらず。