「石と水の都」を築いた飛鳥時代の女帝・斉明大王!益田岩船など飛鳥京造営の遺構に秘められた謎を探る【後編】 (2/7ページ)
『御歴代百廿一天皇御尊影』より「斉明天皇」(写真:wikipedia)
しかし、医療が未発達で栄養面でも不十分だった飛鳥時代の62歳は、現代の80歳代半ばに相当すると考えられます。それほどの年齢でありながら、斉明は国家の頂点に立ち、複雑な政治状況や緊迫する国際情勢に対応していました。
こうした斉明の姿は、まさに古代のスーパーウーマンと呼ぶにふさわしいものです。
しかし、そのような斉明もまた、重祚後は自分に押し寄せる老いをひしひしと感じていたことでしょう。
そうした中、660年7月に百済が唐と新羅の連合軍によって滅ぼされます。この事態を受け、百済の遺臣たちは日本に救援を要請。朝廷は、人質として日本に滞在していた百済の王子・扶余豊璋(ふよほうしょう)を復興のため百済に送り返します。
さらに斉明は朝議を開き、百済の救援および唐・新羅との戦いを決定。難波宮に行幸し、ここを拠点に急ぎ武器と船舶の準備を進めさせました。