「石と水の都」を築いた飛鳥時代の女帝・斉明大王!益田岩船など飛鳥京造営の遺構に秘められた謎を探る【後編】 (3/7ページ)

Japaaan

『古今偉傑全身肖像』より「天智天皇」(写真:wikipedia)

翌661年1月、斉明天皇は皇太子・中大兄皇子(天智大王)、その弟・大海人皇子(天武天皇)らを従え、自ら船団を率いて瀬戸内海を西に進み、5月9日に筑紫の朝倉宮に遷幸。ここを前線基地として、第一次遠征軍の出発を見送ります。

しかし、さしもの女傑も老いには勝てず、7月24日、斉明は朝倉宮にて崩御。享年67歳、波乱に満ちた人生に幕を閉じたのです。この死は、激動の時代をリードした斉明らしい最後と言えるのではないでしょうか。

石にこだわった斉明が望んだ寿陵

さて、ここからは益田岩船と牽牛子塚古墳に話を戻しましょう。

益田岩船(写真:wikipedia)

古代より時の権力者たちは、生前に自分の墓を準備する慣習がありました。これを寿陵(じゅりょう)と呼び、その起源は秦の始皇帝に遡るとされています。

生前に墓を築くことは、長寿や子孫繁栄をもたらす縁起の良い行為とされ、古代中国の歴代皇帝たちはこぞって寿陵を造営しました。

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