大河「べらぼう」蔦屋重三郎、次の舞台へ!新しい幕開けを飾る桜並木と当代一の花魁・誰袖(福原遥)【前編】 (6/8ページ)
当時、吉原では、客を呼んで楽しませるためにいろいろな年中行事を催していたのですが、3月の「春の夜桜」は名物だったとか。その年の寒暖に合わせて桜の木を植える日を調整し、他所から満開に近い桜の木を運び仲之町に移植。散ったら撤去するという大事業だったそうです。
『江戸名所花暦』(文政10年/1827)の「新吉原」の項目には、
毎年三月朔日よし、大門のうち中の町通り、左右を除けて中通りへ桜数千本を植うる。
〜中略〜花遅ければ朔日より末に植込むこともあり。葉桜になりても、人なほ群集す
と、数千本の桜を植えたと一文があります。(実際には、もっと少ないという説も)
新吉原と書いてあるページ。遊女他多くの人で賑わう様子が。『江戸遊覧花暦』(筑波大学附属図書館所蔵)出典: 国書データベースhttps://doi.org/10.20730/100304967
当時、桜並木の足元には、黄色の山吹を植え周りは青竹の垣根で囲い、夜はぼんぼりを灯して夜桜を楽しんだそうです。夜の闇にほのから灯りに照らし出されたピンク色の桜は、さぞかし幻想的だったでしょう。
この桜並木はかなり見事だったようで、江戸っ子はもちろん、地方からの観光客や参勤交代の武士など大勢の人が訪れました。