”種貰い祭”と呼ばれた所以がコレ!神秘の奇祭「県祭り」に隠された禁断の風習とは?【後編】 (3/6ページ)

Japaaan

民俗学者・宮本常一氏は『忘れられた日本人』の中で、河内の太子堂の縁日には、男女の自由な交際が公然と行われていたと、次のように記述しています。

「この夜は男女ともに誰と寝てもよかった。(中略)女の子はみなきれいに着かざっていた。そうして男と手をとると、そのあたりの山の中にはいって、そこでねた。これはよい子だねをもらうためだといわれていて、その夜一夜にかぎられたことであった。(中略)この時はらんだ子は父なし子でも大事に育てたものである。」

そのようなことは、神社・仏閣への参籠においても同様でした。

春日大社到着殿(写真:wikipedia)

時代は遡り、鎌倉中期のことですが、奈良の春日社の神主たちは、今後、神官や春日社の氏人たちが「社参の女人に対し、あるいは大宮・若宮の間、もしくは拝殿や到着殿のあたりにおいて、密通や慇懃な振る舞いをしてはならない」と誓約しています。

これは、春日社に参詣した女性に対して、そうした事態がたびたび起きていたことを物語っています。

「”種貰い祭”と呼ばれた所以がコレ!神秘の奇祭「県祭り」に隠された禁断の風習とは?【後編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、県祭り子孫繁栄縁結び奇祭祭りカルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る