大河「べらぼう」蔦重と鱗形屋、最後の共闘!新章で大きく動き出した様々な”夢”を史実とともに考察【前編】 (4/9ページ)

Japaaan

けれども、嫌っても憎んでも、もともと蔦重の仕事ぶりや発想には「いちクリエーターとして」心は惹きつけられてしまう……鱗の旦那には、そんな、複雑な思いもあったと感じます。

史実では、鱗形屋孫兵衞と蔦重はいつどこで出会ったのか詳細はわかりません。鱗形屋が独占していた『吉原細見』の編集スタッフとして蔦重が名乗りをあげたことから関係が始まったとされています。

『籬の花』(1775年)
蔦屋が出版した最初の吉原細見

そして、安永4年(1775)、実際に鱗形屋孫兵衛は、江戸文学史に名を残す画期的な作品で、初の黄表紙文学といわれる『金々先生栄花夢』を世に送り出し、大成功を収めます。

この作品は、黄表紙のジャンルを確立したといわれ、子供向け・幼稚・低俗とされていた草双紙のイメージを一変。庶民の生活や風俗をユーモラスに描いた大人向けの読み物に仕立て大好評を博したのです。

この本の作者で挿絵も手がけたのが、今回話題となった、江戸時代中期の戯作者・浮世絵師で恋川春町(岡山天音)でした。

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