「べらぼう」なぜ田沼意次(渡辺謙)は徹底的に排除された!?理由を江戸幕府の政治理念から考察【前編】 (4/7ページ)

Japaaan

大河ドラマ「べらぼう」公式サイトより

また、この時点とは、意次の子・意知(宮沢氷魚)が、1783年に若年寄に就任したという史実から見て、おそらく1780年頃と推定できます。

これ以後、意次は家治のもと「田沼時代」と呼ばれる政権を熟成させていきます。そのことは、意次の所領が1781年に1万石、1785年に1万石を加増され、最終的に5万7,000石に達したという史実からも裏付けられるのです。

松平定信(Wikipedia)

しかし、このような状況に、松平定信(寺田心)、一橋治済(生田斗真)ら反田沼派は、さぞや忸怩たる思いであったことでしょう。

実はこの間の1784年、田沼意知が江戸城内で佐野政言(矢本悠馬)により暗殺されるという衝撃的な事件が起きます。

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