「べらぼう」なぜ田沼意次(渡辺謙)は徹底的に排除された!?理由を江戸幕府の政治理念から考察【前編】 (5/7ページ)
定説では、この事件を境にして、意次の権力は急速に衰退していくとされますが、実際にはその翌年にも意次は加増されており、さしたる権力の低下は見られません。
反田沼派の面々は、もはやこれ以上の猶予は許されないと感じたのではないでしょうか。
徳川家治の死は複雑に絡んだ政治的陰謀が原因?1786年8月、意次の後ろ盾であった家治が突然死亡します。死因は、脚気による心不全、感冒による内蔵衰弱などさまざまな説がありますが、身体がしきりに震え、激しく吐血したという異常な死にざまだったともいわれ、政治的な思惑が重なったうえでの毒殺の可能性も否定できません。
家治の死をめぐっては、その直後から大奥を中心に「意次が上様に毒をもった」という意次毒殺説が囁かれました。しかし、意次に家治を殺す理由は全く見当たりません。
むしろ、家治の死は、彼の死去を契機に意次を失脚させようとした反田沼派による何かしらの陰謀があったと考える方が自然なのではないでしょうか。
そもそも、意知暗殺後の江戸では、佐野政言を称賛する声が広がり、田沼政治への批判が高まりました。