「べらぼう」なぜ田沼意次(渡辺謙)は徹底的に排除された!?理由を江戸幕府の政治理念から考察【前編】 (7/7ページ)
その際、意次が心血を注いで築城した相良城は、徹底的に破却されます。
江戸時代においては、低い身分から頂点に登りつめた人物の多くは、後ろ盾の将軍が亡くなると失脚を余儀なくされることが多かった。しかし、柳沢吉保や間部詮房でさえ、移封に留まっています。
それに比べて、意次が定信や治済から受けた仕打ちはあまりにも苛烈であり、両者の意次に対する憎悪は異常としか言いようがありません。
では一体なぜ、家治が「知恵は譲りたくない」とまで称えた田沼意次が、家斉政権のもとでその実力を発揮するどころか、完全に消されてしまったのでしょうか。
その理由を解き明かすには、江戸幕府を開いた徳川家康の政治理念にまで遡って考える必要があるのです。
では、[前編]はここまで。[中編]では、家康が構築した江戸幕府の政治思念とその事績についてお話しします。
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