日本最古の悲恋・十市皇女と高市皇子の純愛をさまざまな角度から考察!幼馴染みから政治の犠牲に…【中編】 (4/8ページ)

Japaaan

斎王まつりにおける伊勢斎王(Wikipedia)

そして、その3年後の678(天武7)年4月7日の朝、十市は突然この世を去ります。『日本書記』には「十市皇女、卒然に病発して、宮中に薨せぬ」とだけ記されています。

この日、天武は百官を引き連れて、倉橋河の河上に建てた斎宮に出向く日でしたが、十市の死を受けて行幸と斎宮での祭祀を急遽中止しました。そして、彼は、愛娘の死に号泣したと伝わります。そして十市の亡骸は、4月14日に大和の赤穂(あかほ)の地に葬られたのです。

かつての敵将であり弟である高市の挽歌

十市皇女の死に際し、号泣したという天武天皇のほかにも、彼女の死を深く悼んだ人物がいました。それが、天武天皇の長子である高市皇子です。

「日本最古の悲恋・十市皇女と高市皇子の純愛をさまざまな角度から考察!幼馴染みから政治の犠牲に…【中編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、高市皇子文武天皇尼子娘十市皇女天武天皇カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る