日本最古の悲恋・十市皇女と高市皇子の純愛をさまざまな角度から考察!幼馴染みから政治の犠牲に…【中編】 (2/8ページ)

Japaaan

矢沢弦月『皇大神宮奉祀』(Wikipedia)

この時、定説通りなら十市は27歳。阿閇は15歳で、伊勢神宮に斎宮として赴任している妹の大伯皇女(大津皇子の同母姉)も15歳でした。

「河上の ゆつ岩群に 草むさず 常にもがもな 常処女にて」(万葉集 巻第1-22)

これは伊勢参拝の時、十市に仕えていた女官の吹黄刀自(ふふきのとじ)が、十市のことを詠んだ歌です。

その意味は、「川の畔の神聖な岩にいつまでも苔が生えないように、わが姫君も、その岩のように変わらず、永久に美しい乙女でいらっしゃってほしい」となります。

27歳といえば、現代ではまだまだ若く感じられますが、平均寿命が30歳に届くかどうかという飛鳥・奈良時代では、決して若くはない年齢なのです。そして皇子を一人出産している十市に対し「永久に美しい“乙女”でいらっしゃってほしい」と述べています。

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