日本最古の悲恋・十市皇女と高市皇子の純愛をさまざまな角度から考察!幼馴染みから政治の犠牲に…【中編】 (7/8ページ)
繰り返しますが、高市皇子は壬申の乱における最大の功労者であり、乱に勝利できたのは、彼の卓越した軍事的指導力によるところが大きかったのです。しかし、高市は母親の身分が低かったため、皇位継承の上位に立つことはできませんでした。
そのような高市の境遇は、十市の亡夫・大友と非常によく似ています。二人とも天皇の第一皇子として生まれ、並外れた才知を持ちながらも、母の身分の低さゆえに、容易には皇位に就けなかったのです。それでも大友は、皇位継承を目指して朝廷の運営に乗り出しました。しかしその反動は大きく、最終的には身を滅ぼすこととなってしまいました。
自らの手で滅亡へと追い込んだ大友の運命を目の当たりにした高市は、皇位継承への望みをきっぱりと捨てたのではないでしょうか。だからこそ、第一皇子でありながら父の臣下として隠忍自重し、天武の没後には持統からも信頼を寄せられる存在となります。
そしてその政権下では、朝廷の首班たる太政大臣に任じられ、薨御に至るまで皇族・臣下の頂点に立って、持統天皇を支え続けました。
彼の脳裏に常にあったのは、姉・十市に対する自責の念と深い憐憫の情であったと思われます。