イケメンすぎる若き将軍・足利義尚!室町幕府の権威回復を一身に背負った悲劇的な人生…【後編】 (6/7ページ)
医師たちの治療の甲斐もなく、義尚はたちまち重体に陥ります。母・日野富子は、そんな義尚を心配して京都から駆けつけましたが、1489年(延徳元年)3月26日早朝、義尚は近江鈎の陣中で没し、わずか25歳の生涯を閉じたのです。
勇将であり、和歌・絵画にも通じた文化人足利義尚の亡骸は富子に付き添われて京都へ戻り、足利将軍家の菩提寺である等持院に葬られました。義尚の遺体を出迎えるため、まるで凱旋将軍を迎えるかのように多くの群衆が集まったと伝えられています。
室町時代の花の名手・大沢久守の日記『久守記』には、義尚の葬儀の際、その遺骸と最後の別れを迎えた富子の様子が記されています。
そこには「御台、御輿の内にて声も惜しまず、むずかりけり。