『べらぼう』胸が詰まる“桜”の演出…田沼意知と誰袖の幸せな桜、悲劇を招いた佐野の枯れ桜【前編】 (2/8ページ)

Japaaan

西行(『小倉百人一首』86番、『千載和歌集』恋・936)

“桜”を愛した歌人としてしられた西行。

今回の「べらぼう」の主役は、さまざまな姿の“桜”が主役でした。

“夢”に描いた桜、明るい陽光のもと輝いて見えた桜、「本来なら“うちの桜”だったのに」と無念の思いで見上げる桜、生気を失った枯木なのに人間を支配し続ける“家”の象徴である桜。

その「桜」をめぐり、描かれた二人の家の“父と息子の葛藤”。そこに、重なる男女の愛……あまりにも切なくも哀しい運命の展開を回想してみました。

川沿いの桜並木(撮影:高野晃彰)

誰袖の身請け話を反故にしないでと頭を下げる蔦重

「食うことに精一杯になれば、本は我慢、普請は諦めよう……そうやってどんどん金の巡りが悪くなる」

食えないということは何かもが悪い方向に向かう。その流れを断ち切るのが政だ」という考えから、米問題について“日本橋の旦那衆と考えた提案”を、田沼家に出向き意知に伝える蔦重。

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